1990年代末期の新米ウェブマスター誕生
私は高校卒業間近である1999年の2月に、超個人サイト「ヘンリーエンタープライゼス」を立ち上げました。
なんのことはない、掲示板とチャットルーム、管理人であるヘンリーの自己紹介、そしてもはや化石とも言うべきアクセスカウンター(笑)のある、当時よくある形だった個人ホームページでした。コンテンツとしては、高校のとき独学で勉強していたVisual Basicで作ったフリーソフト(動かすのにVBランタイムが必要なやつ)をダウンロードできるようにしていたり、Visual Basicのテクニックをちょっとだけ紹介したりしてましたね。ちなみに公開していたソフトは、
- 電太君…おふざけ電卓ソフト
- 音我君…MIDIファイルのプレイリストを作って連続で流せるiTunesプレイリストの超絶劣化版のようなソフト
- エディ太君…当時まだ画期的だったMDI型テキストエディタ
という冗談としか思えない代物でした。
当時の個人ホームページは、ジオシティーズという無料ホームページスペースを利用して作られていることが多かったと記憶しています。あるいは個人が契約しているプロバイダから提供されるホームページスペース。
ああ…書いていてすごく懐かしくなってきた(笑)
当時私はそういった流行りの環境を使わずに、無料ながら広告が勝手に挿入されることがなく、なんとCGIの私用が許可されている『ミルトクラブ』というところを使うことにしました。ここ、なんとハガキで申し込む必要があったんです。若干18歳だったヘンリー少年は、せっせと申し込みハガキを送り、無事ミルトクラブでホームページスペースのアカウントを開設したのでした。
寝食を忘れてHP運営に没頭
コンテンツとしては上に書いた通り、VBのテクニックだけで、あとはCGIで作られた掲示板とチャットルームがあるのみ(笑)こんなサイト誰が見に来るんじゃい?と思うかと思いますが、当時は個人ホームページには「相互リンク」という文化があったんですね。ディレクトリ型検索エンジンだったYahoo! Japan(ヤフーすごかったんですよ。ここに登録されたらめちゃくちゃアクセス来る)に登録されている人気サイトで自分がいいな~と思ったサイトにアクセスして、そのサイトの掲示板やチャットルームの常連になる。管理人さんと仲良くなって、自分もサイトを立ち上げたから相互リンクしてください!とお願いするわけです。
そうすると、そのサイトの相互リンクページに貼ってもらったリンクから、自分のサイトに人が流入してくるようになります。1999年2月頭に立ち上げた『ヘンリーエンタープライゼス』でしたが、その2ヵ月後の4月頭にはそこそこ常連さんの数が定着してくれるようになり、なんと何回かオフ会(オフラインの場でそのサイトの常連さん同士で会う)まで開くようになりました。常連さんは関東の方が多かったので、静岡県在住だった管理人は、早朝に静岡駅から発車するグリーン車付き普通電車の東京行きの電車にのり、日中遊んでその日の夕方に静岡行きの電車に乗って帰るという弾丸な感じでした。
自分のサイト(庭)に全く知らない人が遊びに来てくれる。チャットルームで待機していたら、常連さんが入ってきて楽しくテキストで会話ができる。当時のインターネットの楽しさを知ってしまった私は、寝食を忘れて自分のホームページの運営に没頭するのでした。